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新年を迎え…
2018年新年を迎え、大きな動きはなく、3年生は1月に學測を控えているだけでなく、その後も進路決定にかかわる大事な時期に入るので、こちらから連絡を取ることはありませんでした。
博物館の方からも連絡はないまま、私自身も忙しくなり、気がついたら4月も終わりにさしかかっていました。
5月に入り、3年生の多くは進路が決定し、北一女では4月下旬から卒業式の実行委員会が結成され、100人くらいの卒業生が準備に入ります。その時期になっても、博物館の方からの連絡はなく、3年生が1ヶ月後に卒業を迎えるので、私の方から連絡を取りました。
返ってきた答えは、「現在、翻訳内容を精査している」ということで、その際出てきた細かい部分の翻訳の確認をしながら、また待つことにしました。
そうして迎えた卒業式前日の5月31日…
中国語(繁体字)版館内ガイド配布決定
博物館から、
「6月1日より中国語(繁体字)版配布の準備が整ったので、配布いたします」
と連絡があり、早速部長に連絡しました。
そして配布されたのが↓。
部長は、感謝の言葉を述べつつも、「卒業式後も学校へ来て、自習する」ということでした。卒業式で服務獎を受賞していましたが、お祝い気分が吹っ飛ぶような一言でした。
7月1〜3日に行われる指定科目考査(指考)の受験勉強に追われていたようですが、その中でご協力いただけたことに改めて感謝、感謝でした。
卒業式当日で、その余韻が残る中、私も担当の先生らに報告しましたが、年度が変わり、変わっていたこともあってか、反応が悪く、「何言ってるの、この人?」という感じで、この時は話がうまく通じませんでした。
9月を迎え
7月の受験も終わり、8月上旬には全員の進路が決定。部長をはじめ、お世話になった他の部員の進路も無事決まりました。
話を聞いている限りですが、台湾の大学は新学期が始まる前の9月初旬に新入生のオリエンテーションを行うようで、そちらの方に気持ちが向いていったようです。
9月に入り、ホームページでお知らせが出ただけでなく、学校にもお礼状と記念品が届き、部長から受け取りの連絡がありました。いずれも部員全員にまわりましたが、学校に届いてからのやり取りは面白いものでした。
校長室から…
博物館からのお礼状と記念品は、校長室宛だったことから、校長室に届いたそうです。
私が話をしてから1年以上経過しているので、校長も忘れていて、受け取った際は「何で日本からのものがここに届いたんだろう?」という感じだったそうです。送り主の名前を見て、私が関わっていることに気づき、クラブ活動を管理、管轄している學生事務處(學務處)に転送され、在校中の生徒(すでに新学期に入り、この時3年生)から卒業した部長らに連絡が入り、学校で受け取った、ということでした。
後日、学校へ行き、まず校長室でお礼を言い、その後學務處で主任とクラブ活動担当の先生にお礼を言いましたが、この時は私が関わっていることに気づいていたので、普通の受け応えでした。その際、主任から「せっかく(このような形で)文化貢献ができたのに、活動停止だなんて… 本当に残念」と惜しむ声が聞かれました。
最後に
残念ながら活動停止にはなりましたが、北一女棒球社は15年の歴史の集大成という形で、館内ガイドの翻訳作業に取り組みました。このような形で、日本において学校と部の名前が残せ、文化貢献を果たせたことは、携わった部員たちだけでなく、過去13代の先輩たちも喜んでくださっているのではないでしょうか。
活動停止について、部長は「ここ数年、毎年活動停止の危機だったし、部員がいなければ仕方がないことだから…」と話していましたが、私は、この作業が活動停止を避ける切り札になると信じ、お願いしただけに、なりえなかったことを、ただただ残念に思っています。
昨年9月に一時帰国した際、野球殿堂博物館を訪れ、写真の中国語版館内ガイドを受け取りましたが、うれしかったと同時に、いろいろなことを思い出したので、今回改めて書き記しました。
悪文、長文、サイトデザインの不備など、読みづらかった点があったことについてお詫び申し上げると同時に、お付き合いして読んでくださった皆様にはお礼申し上げます。
ありがとうございました!
如果大家去東京旅遊的時候,訪問東京巨蛋的日本棒球名人堂博物館的話,請看看中文版的博物館導覽手冊。請大家看看北一女的學生努力的結晶。